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伊勢住宅本社のある高師浜の歴史

伊勢住宅本社事務所がある高石市高師浜。今回は歴史ある高師浜について、ご紹介いたします。

古くから邸宅街として栄え、子育てに力を入れている街

高石市は大阪府の中南部、堺市の南側に隣接しています。難波にも、関西国際空港にもアクセスしやすい交通の便の良さと、「子育てするなら、高石市」のキャッチフレーズのもと、市を挙げて取り組んでいる子育てのしやすさが魅力となっています。

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高石市にある高師浜(たかしのはま)は、『日本書紀』にも記述がある歴史ある場所です。白砂青松の景勝地として知られ、『万葉集』や『古今和歌集』『金葉和歌集』でも歌が詠まれています。

(注:白砂青松とは→海岸の美しい景観の形容。白い砂浜と青々とした松林の続く海岸線の意から)

百人一首

『音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ』

この歌の作者、祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)は、平安時代後期の歌人で、女房三十六歌仙の一人。噂に高い、高師(たかし)の浜にむなしく寄せ返す波にはかからないようにしておきましょう。袖が濡れては大変ですからね(浮気者だと噂に高い、あなたの言葉なぞ、心にかけずにおきましょう。後で涙にくれて袖を濡らしてはいけませんから)という意味だそうです。

高石の地は「高脚」とも書かれ、その昔からの白砂青松の美しい所として天下に知られ、持統天皇の御代世に各地に禁断漁猟区域が制定されたときには、「準河内国高脚海」と「高師浜」の地が基準とされたほどです。

万葉集

『大伴の 高師の浜の 松が根を 枕き寝れど 家し偲はゆ』

この歌は持統天皇に随行した置始東人が詠んだものです。難波宮の行幸にて、白砂に映える松林で名高い高師浜を訪れ、その旅枕での郷愁の想いを歌にしています。

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江戸時代には、大阪と和歌山を結ぶ紀州街道が通り、参勤交代では紀州藩がこの道を利用していました。大正時代になると、高師浜は「東洋一の海水浴場」とたたえられるほどの人気を集め、多くの海水浴客でにぎわったそうです。

古代以来、その美しさがたたえられた高師浜一帯は、大正時代以降、高級住宅地として開発されるとともに、大阪郊外の行楽地としても発展しました。

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高師浜駅について

南海高師浜線『高師浜駅』。大正7年に羽衣~伽羅橋の一駅間が開通し、翌8年に高師浜までの全線1.5キロが開通しました。終着の高師浜駅は大正8年の建物です。入口の窓がステンドグラスになっている洋風建築で、波間に漂う千鳥が描かれています。大正期のモダン建築の素晴らしさを伝える駅舎であります。

この駅舎は、一時消滅の危機がありました。昭和45年に高師浜線が高架化された際、解体・改築が検討されたんです。しかし、地元の方々の熱意と南海電鉄の理解によって保存されることになりました。昭和30年代以降海岸が埋め立てられ、海ははるか遠くになってしまいましたが、戦前の高師浜の風景を伝える貴重な駅舎であります。

駅を降りて西へすぐのところに「大阪府立臨海スポーツセンター(りんスポ)」があり、大会などがある日は駅も大変賑わっていました。しかし、2021年5月22日から3年間運休し、高架工事がスタート。鉄道輸送が再開される3年後、駅舎がどのように変化しているのか、市民は楽しみに待っています。